2024年1月

お正月

毎年私たち家族4人は、1人で留守番をしている姑の所に新年の挨拶に行く。いつもご馳走を用意してくれており、お年玉をもらって帰るのが恒例だ。

しかし姑は自動車に乗れず、買い物に電動自転車で行くのも大勢の分を買うのは大変だ。

そこで、去年から娘を買い物のパートナーに派遣し、更に姑にお年玉を数万円渡すようになった。全部夫の意向。夫は根っからのマザコンなのだ。でも、母親を大切にする男性はいいと思う。

宴の最中、夫がニヤニヤしながら私に留学のことを言わせようとする。私は年寄りは何を言い出すか分からないのであまり話したくなかった。

結局ぼんやりとそれらしいことは言ったが、具体的な話題は避けた。すると夫はつまらなそうにしていた。何故か私が留学することを彼は誇らしく思っている。そう、応援してくれている。この年でというのもあるし、いずれ息子や家族の利益に繋がればという動機があることを彼は理解していた。

息子が不登校になってしまった苦しみは、他の人にはあまり理解されない。枠にはまった家族の形をいくら守ろうとしても歪みが生じ、打開しようともがき苦しむ心境を伝えることはおろか、理解してもらうことは難しい。

家族の形は何通りもあり、何が正しいと他の人が決めることはできない。ここまで来て何が正解かなんて誰にもわからない。

活路を見いだせる可能性が少しでもあるならできることは全てやる。

それぞれの冬

スキーー家

冬になり、スキー一家の我が家は山に篭もる。舅の代から毎年恒例。スノースポーツをやらない人も昔は強制参加していたが、移動に車で往復7時間を使い家事をし留守番するのがストレスになるため10年ほど前から不参加が認められることになった。

私と姑は毎年不参加。1人で家でのんびりし外食したり、友人と出かけたり自由気ままに過ごす。

舅はリタイアしてから10月から5月くらいまで別荘で過ごしている。

夫も舅もよく似ていて、自分がやりたい時にやりたいことをする。周囲の確認は取らない。

夫は今年自分と娘をインストラクターの仕事に、息子を事務仕事に、私の知らないうちに決めていた。平日は仕事、週末はスキーで誰も家にいない。私が行きたいと言えば一緒に行き、温泉に入ったり探索したり、集合をかければ家族も集まってくる。でもすぐ飽きる。家事を当てにされ家政婦替わりに使われ疲れ不満が溜まる。

不穏な空気が流れ、また行かなくなるの繰り返しだ。やりたいことが合わない。けれどそういう形で相手を尊重し何十年も結婚生活は維持される。

娘は法律事務所で普段アルバイトをしていて、日給は1万円くらいになるが、そちらを休んでインストラクターの仕事に行き、4日以上行っても2万円だったようで不満を漏らしていた。

息子も3週目には、テスト勉強があるから行きたくないと行って家で解放されたように遊んでいるのをみた。テストのことを厳しく言われるので、夫が怖いからテストも受けていたし、アルバイトのおかげで腰が軽くなり、行動も早くなった。息子の場合は給料関係なくリハビリにちょうどいい。(しかし、なぜか娘より給料が多かった。)

行ったら行ったで楽しいこともあるようなので、みんな自由にすればいい。寂しがり屋の夫は家族をコントロールでき、好きなことをやれて機嫌がいい。夫の機嫌が良ければ家族は平和だ。

 

おばちゃん頑張ってるよ。

息子も頑張ってる。

夫が単身赴任から帰ってきた。しばらくおとなしかったが、こないだお酒を呑んで家族全員に怒鳴り散らし絡んできた。また一家離散の危機だった。

そんな中、息子は今年のレポート提出期限を迎えた。私は息子の好きな食べ物を差し入れた。今回も無理かと思ったが、全部提出してくれた。夫がいると何故かやるのだ。

そして、特別活動の単位が2しか取れておらず学校行事に参加しないと行けない話も理解して、頑張ってその日だけは学校に行っている。

他に変わったことは、息子から週3日の登校日を週1日に変更してほしいと言われたこと。表向きは友だちと合わないと言っていたが、実際の所は夫が学校に行けとうるさく言うのに嫌気がさしたからだとのこと。

学校は三者面談しないと登校日数を変えてくれない。(夫は息子を説得しようとしたり、怒り狂うばかりでもちろん面談には行かない。)私が日程調整して面談することになった。

はじめて担任の先生と会って話したが、その時単位の話や学校の雰囲気、通信制の仕組みや進路など色々丁寧にお話して下さった。資料も作成して下さっていた。

何をするべきかがわかり、親子で声をかけあい協力出来たのは本当に良かった。

おばちゃんも頑張ってる

学生ビザが無事取れて、私もオーストラリアに行くと決まった。語学学校に通いながら、仕事はアルバイトくらいしか難しそうだ。でも、経験にはなる。

留学に向けて体調を整えようとあちこち悪い所を治療している。すると、次から次へとちまちました病気がたくさんでてくる。皮膚科の地味な外来手術を終えたと思ったら、ヘモグロビンが9になっていて、今度は数日間の入院手術になりそうだ。取れば治る病気ばかりなので万全の状態で出発の日を迎えたい。おばちゃんがんばるよ。

エリートからも普通の高校生活も受験も、今は完全にコースアウトしたが、息子よ、道はひとつじゃないぞ。元気があればなんでも出来る!少したるんだ背中をしかとみておけ。

やってんなー。

手の施しようがない。

7月のとある日、学校の担任からレポートの締切が今日までですがひとつもでていませんと連絡がきました。

はい!ボディブローきました!ごふっ。

学校でやってきたら?と言っても気分が乗らないと言って通学もしないという。

 

通信の先生は、色々な生徒さんをみているためか強く言うことも、あまり熱心に世話をすることも無い。普通はそんなものだろうと思う。

 

レポート提出できないと、テストを受けられず単位が取れず留年になるそうだ。

夫を召喚するも、レポートは進まず。 もう手の施しようがない。 資格取得や海外留学も進めてはいるが、最低限のことが出来ない現状に、家族はどうして良いかわからない。本人の意識が変わることを待つしかない。 子どもといえど、もう17歳。親の言いなりにはならない。

 

他人を変えることは難しい。それならば自分が変われ。

 

私と夫は、息子の生きるヒントになる為に。また自分の残りの人生を自分らしく生きるために行動しはじめた。 夫は転職を考えたり、定年後の趣味兼収入のためにスキーの指導員とバイクの資格を取った。 私も働く姿を見せるために主婦をやめて仕事をはじめ、大学進学や留学、海外勤務を視野に英会話教室と大学や資格取得の情報収集中。少しでも息子の選ぶ人生の入口になれればと思う。

忍耐は美徳、努力すれば報われると信じ、真面目に頑張って生きてきても子育てがうまくいかない。常識ってなんでしょう。全てが覆された。

こうなったら、いくつになっても、何度でも、今ここからがスタートだとおじさんおばさんが身をもって教えたい。 私たち夫婦、人間50年の時代ならもうそろそろ死ぬ。1度死んだと思えば、生まれ変わったつもりでなりふり構わずやってやろう。

 

家族は共同体。互いに影響しあい、切っても切れない縁で繋がっている。私は家族全員の幸せを願いたい。

オンラインゲーム

オンラインゲーム

気になっているのは、最近息子がオンラインゲームをはじめたこと。夜遅くまで友だちと話しながらゲームをしていて、ゲーム画面がパソコンに表示されたまま寝ていることもある。

隣の部屋の長女が「うるさくて寝られない。あいつにパソコンなんか持たせたらこうなる。」と言う。(注✻長女は最近口が悪いです。)

長女が時々私の部屋にきていたのは、息子がうるさいからなのだと。

レポートをしているのか、ゲームをしているのかパッと見はわからないし、パソコンを禁止することもできない。ゲーム画面を見つけてもたまたま息抜きと言われるだろう。そこから親子喧嘩に発展する。夫がいた時は全ての娯楽(漫画やDS.音楽等)に対し息子と激しい争いを毎度飽きもせず繰り広げていた。

その不毛な争いを幾度も見て巻き込まれた経験から、禁止すると余計に枯渇したように娯楽を求め、反発するようになる息子の傾向がわかっている。

ルール作り

ルールを決めてやらせるしかない。しかし夫が主導権を握っていた時は、この助言も役に立たなかった。夫はルール決めを交渉の場にしてしまうのだ。何時間もかけどれだけ自分に有利な条件を作るか。

息子は勝てる訳もなくやり込められ、抑えこまれ反発心を募らせながらも虚無になっていた。

ルールを決めることも息子にとっては交渉でやり込められることを意味しておりアレルギーを引き起こすのだ。

私のやり方

私は自分の勝手な分析だが、良く言えば優しい。悪く言えば甘い人間なのだと思う。

だから息子が言うことを聞かない。夫のように聞かせられない。

でも、自分なりのポリシーがある。自分で考えて正しいと思うことをやることだ。

他人の考えを押し付けられ、それに従うことはなにも考えていないと同じだと思う。

ある側面では従うことも大事で、人からものを習う時は素直に従うのがいいと思う。その辺が息子にうまく伝わらないのは悩みの1つだ。

さて、ルール決めをどうするかと考えた時、私は禁止をしないことにした。でも、どこまでがセーフかどこからがアウトかはわかって欲しい。夜12時をすぎたゲームは睡眠時間を削り翌日不登校に繋がるのでアウト。

レポート提出せず学校に行かずゲームにのめりこむのはアウト。

それ以外はセーフ。

このことを伝えるのに話し合いはしない。

短い言葉でタイミング良く簡潔に伝える。アレルギーを引き起こさないために。

実践

夜いつものようにもう寝るように言うと、息子は楽しげに友だちと話しながらゲームをしていた。私の言葉に笑いながら頷いてみせるが行動には移さない。

腹が立つ。でも、一旦その場を離れた。

どうしたらいいかな。なんと言えばわかるだろう。力で押さえつけたくは無い。(できない)でも、言うべきことは言わなくては。

もう一度息子の所へ行く。「もう遅いから終わりにしなさい」友だちにも聞こえるようにわざと大きめの声で言う。一瞬シーンとなった。嫌な親だけど仕方ない。ついでに試してみようと思った。

高校生にもなると学校に親が行く機会はほぼない。どんな子が来ているのか、様子が分からない。息子は通信にきている友達のことを大人しくて優しい子だ。悪い子じゃないと言う。

だったら、親に友だちが怒られるのを聞いてやめるはずだ。盛り上がっているからやめたくないという思いはあるだろうけど。

息子も同様、友だちを大切にできるのか。正しい判断と行動ができるのか。

ダメ押しに部屋に戻ってからLINEを送った。

   - 友だちが怒られてるのにゲームを続けるのはいい友だちじゃないよ。

     -○○(息子)もやめるときちんと言えないとダメだよ。

すると、息子がごにょごにょ言うのが聞こえ静かになった。そして私の部屋に来た。

「えらいじゃん。ちゃんとできるじゃん。」と言うとニコッと笑って息子はドアを閉めた。

たまには私のやり方もうまくいくことがある。

 

げんなりする。

学校からの電話

6月のある日、知らない番号から着信が入っていた。なんだろうと思い検索すると、息子の通う通信制高校。嫌な予感がする。

今まで学校からの連絡でろくなものは無い。おともだちに怪我をさせてしまった、物を壊してしまったなど何かしらのトラブル。PTAをやってくれないかという面倒なお願い。

その度に相手に謝りにいったり、弁償したり、長い説明を聞いて言い訳を探したり。とにかくろくなものではない。

昼休みも終わりに近く、話し込む時間が無いことや単純に気乗りがしないこともあり、夫へ学校に折電をお願いした。

仕事が終わり夫からのLINEをみると、週3日の通学制にしているが月に2回くらいしか来ていないことや、レポート13個中7個しか提出していないなどの話だった。

つい先日は球技大会に申し込みしていたにも関わらず来ていないという連絡があった。

勉強もスポーツも小さいころから習慣になるようにと習ってきたことの意味は?

習い事に付き添ったり、あれこれ考えたことも、子どものためと自分の時間を20年近く費やしたことも、注ぎ込んだ費用もなんだったのか。

子育てに失敗した。無力感におそわれげんなりした。

長女は同じようなやり方で育てなんでも自分から挑戦し解決していくアクティブな子になり、私たち夫婦は子育てに成功したと思っていたが、その思い上がりを息子はみごとに打ち砕いていく。

気持ちを落ち着かせプラスに考えようとする。先生は提出したレポートは成績が良いと言っていたではないか、13個中7個でも途中まではやったんだ。まだ始まったばかりで仕組みがわからないのでは。けれど、この電話の件は3日間くらい私の気持ちの中でグルグルと黒い煙が廻り続けるように陰鬱なおもいとなり重しのようにずっしりと残り続けた。

言葉を発したら息子を傷つけてしまうのではないか。発破をかけても逆効果だろう。いつものように無視される。身の回りの事をしてやり環境を整えても、帰宅後に朝作ったご飯がカチカチになってテーブルの上に残されたままになっているのをみてなんども傷つく体験を思い出す。

コミユニケーションがとれない。

自分がなんとか普通に話せる精神状態と思えたので、息子にレポートの話をした。息子は期限に間に合わなかったこと、今一気に取り組んでいることをまくし立てると話は終わりとばかりに打ち切った。

詳しいことはもう聞けない。

これでもうやり取りは終わりだ。

勉強に対してとてつもないアレルギー症状がでているのが何となくわかった。内容は簡単になっているはずなのに「レポート」とか「勉強」という単語と息子は戦っているように見えた。

この頃は食事に誘っても断られるようになった。

学校生活

スクーリングとレポート提出

息子は、4月から通信制高校の2年生に転校した。月、水、金曜日と週に3回登校する週3日コースに編入した。

私の感覚では、登校日は朝からずっと学校に居なくては行けないと思っていたのだが連絡すればオンライン授業に切り替えられ登校しなくてもいいようだ。

年に何回かスクーリングという日があり、そこは必ず登校しなくてはいけない。

しかし、これも全教科ではなく自分が選択している教科だけ出席すればいいそうだ。

スクーリングの数週間後にレポート提出があり、こちらも期限内に必ず提出となっている。

今はこのレポートをやっており、同級生に聞きながらパソコンを使って進めているようだ。

先生に聞けるツールもあり、そちらの方が確実とは思うのだが、やはり全部友達に聞いてやっている。

内容はよく分からないが、息子が職業について質問してきた。

将来なりたい職業。

友人には弁が立つから弁護士を勧められたり、適正では経営コンサルタント等が当てはまると本人が言っていた。

息子は今家ではあまり話さないのだが、子どもの時はおしゃべりで話し始めも早く一日中1人で話しているような子だっだ。

他の家族は必要なことしか余り話さなかったので、末っ子の息子の存在は静かだった我が家に大きな変化を与えた。

文章も話すのと同じようなスピードで書くので、書くまではめんどくさがって遅いのだが書き始めると一瞬で終わる。小学生の時の作文は学校代表に選出され、市でも賞をとり、県に推薦されたこともある。

今でもおそらく友人の前ではよく話すのだろう。

しかし、コンサルタントという名前をみただけでは何をするのかわからない。私の知っている範囲で教えてはみたが現実的なことは知らない。

高校1年の担任の先生は、登校のきっかけになればとわざわざ知人に話を聞けるように根回ししてくれていたのだが息子は前向きに考えられず機会を逃してしまった。

経営コンサルタントをするにあたりあると良い資格などを調べていた息子。

「税理士の資格があるといいって書いてあるんだけど、経営コンサルタントは年収850万なのに、税理士は900万だから税理士で働いた方が良くない?」という。

ふむ、やはりお金は判断材料としてウエイトが大きいらしいと思い、こないだ知人にお金が好きならと指摘されたことを思い出し少し面白く感じた。

年収データは個人の能力や年齢、会社の業績に応じるのではないか当てにならないと思ったが、どんな大学に行けるか、そもそも大学に行けるのか今ではわからなくなった息子には資格を取って欲しいという思いはある。

霞ヶ関監査法人で派遣バイトをしたことがある。その時税理士は個人や中小相手に税金の計算と書類作成をし監査法人公認会計士が大企業相手に税金の計算と書類作成するとざっくり聞いた気がした。監査は必ず受けなくてはならないと法で定められていると。公認会計士の合格率は低く難しいこと、独立起業を目指す人も多いとその時知った。余談だが仲良くなった会計士さんの中には作家を目指して執筆中という人がいて後に賞をとりテレビに出まくっていた人もいた。

でも税理士のことはやはりわからない。夫の大学の親友は税理士をしていたはずだ。夫も私も息子の助けになることを言える自信が無い。毒親だ。夫が週末帰ると珍しく伝えてきたので、父ちゃんに聞いてと言っておいた。